
「御飯の時間だから入っておいで」と母親の大声が台所から聞こえてきていた記憶があります。
なぜ、そこまで、ご飯の時間を忘れるくらい熱中できたのか?
本当に、純粋に好きだった/純粋に楽しかった/純粋に没頭していた等、純粋と付けたのは、動機には不純物(駆け引きや損得、対価、怖れなど)が入っていなかったんだと思います。
ただただ、やっている時間に満たされていたんですね。
きっと自分の中にある潤った感覚に満たされていたと思います。
年齢を重ねて行く中で、この感覚を忘れるとか、蓋をしてしまっている大人も沢山います。
この没頭できる時間が持てると、ストレスから開放されますよね。
没頭できるモノ/時間持っていますか?
没頭できるものを仕事にできた人は幸せです。
多くの人は、家庭があるからとか、もう少し収入が欲しいからなど、と報酬を得ることを絡めて考えてしまっています。
そうすると、没頭よりも収入に意識が向き、純粋に好き/楽しいに没頭することができない。
子供の頃のように、色々抜きにやりたいことを考えてみるのがオススメです